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堀永哲史. [2017]: 「質的なものから観念的なものへ――ヘーゲル『大論理学』質論における無限論の注釈――」, ヘーゲル〈論理学〉研究会, 『ヘーゲル論理学研究』第23号, pp. 21-37.

要旨

本論文は、ヘーゲルの『大論理学』の質論における「無限」(質的無限であって量的無限ではない)を扱います。本論文の問題背景は大きく二つあります。

第一に、「真無限」の導出がどのように行われるのか、という問題です。よく知られているところでは、ヘーゲルの無限論は、有限に対立するだけの無限を「悪無限」と呼び批判し、それら有限と悪無限を統一した「真無限」を主張する、とされます。しかし問題は、どのように「統一」がなされるのか、ということです。ヘーゲルの無限論では、「無限進行」(無際限性)から「真無限」が導かれます。この「無限進行」から「真無限」への移行の論理を明らかにすることで、「真無限」がどのように導出されるのかを示します。

第二の問題は神学的な問題です。その一つは「有限者が神をどのように捉えるのか」、いま一つは仮に神が存在するとして「なぜ神だけでなく有限者も存在するのか」という問いです。これはヘーゲルの無限論に置き換えると、「有限なものから無限なものがどのように導出されるのか」、また「無限なものが有限なものをどのように必然的な仕方で導出するのか」という問いになります。本論文では、ヘーゲルがこれらの問題に対して、そもそもこれらの問いの前提が間違っていることを暴露することによって、有限なものから無限なものへの導出と、無限なものから有限なものへの導出の必然性を示していることを明らかにします。

キーワード

ヘーゲル, 無限性, 悪無限, 真無限, 質, 観念論

がんばったところ

「無限性」概念の構造の明示化

ヘーゲルにとって重要な概念である「無限性」の構造、つまり「円環」構造あるいは「自己関係性」の構造を明示化しました。ヘーゲルの無限論については、よく「悪無限」へのヘーゲルの批判が取りあげられます。つまり、「有限」でないという仕方で規定される「無限」は、有限で〈ない〉という仕方で限定されており、「真の無限」ではない、という議論です。しかしこの議論に納得できたとしても、それでは「真無限」とは何かという説明になると、「有限と悪無限との統一だ」といったようなたんなるテーゼが述べられることが多いです。説明されるべきは、その「統一」がどのように成立するのかということです。本論文ではその成立の過程を明確に示しました。

ヘーゲル特有の「観念性」概念の明示化

ヘーゲルは「有限なものは観念的である、という命題が観念論をなす」(GW21, 142)というように「観念論」を定義します。この定義は、無限論の本論が終わったあとの「注2」で出てくることからも、無限論の議論を前提にしています。「質的なもの」と「観念的なもの」という二つの対概念は、無限論を理解するうえでも重要になるため、本論文でも議論に取り入れています。

ところでヘーゲルにとって「質的なもの」とは、〈それ自体で独立に規定されてあるもの〉または〈直接的なもの〉のことです。他方で「観念的なもの」は、この質的なものが、実際には〈それ自体で独立には規定〉されてはおらず、〈他のものとの関係全体のなかに位置づけられて初めて規定される〉ことが明示化されたもののことです。例えば、〈赤い〉が直接的にそれだけで捉えられる質としてある段階であれば「質的なもの」ですが、〈赤い〉が他の色との関係のなかで初めて規定されるものとしてある明示化されるとそれは「観念的なもの」です。ヘーゲルにとって「有限なもの」とは〈それ自体で独立にそれ自身として規定されたもの〉ではなく、〈他のものとの関係のなかで初めてそれ自身として規定されるもの〉のことです。冒頭の「観念論」の定義に戻るならば、有限なものをそれ自体で独立にそれ自身として規定されたもの(質的なもの)としてではなく、何であれその他のものとの関係のなかで規定されたもの(観念的なもの)として説明する説明体系は、ヘーゲルにとって「観念論」です。単純化すれば一般に「観念論」は外的な存在を主観に還元する議論のことを言います。ヘーゲルはこのような議論を「主観的観念論」と呼びますが、この主観的観念論がヘーゲルの術語体系においても「観念論」と呼ばれうるのは、主観から独立にあるとされるものを主観の思考作用のなかに位置づけるからです。

「なぜ無限なものだけでなく有限なものもあるのか」という弁神論的な問いに答える

本論文は当初、「なぜ神は自分だけでなく有限なものも創造したのか」という弁神論的な問いを、ヘーゲルの無限論で考えるということから始まりました。この問いへのヘーゲル的な回答はシンプルです。つまり、〈有限でないものとして有限なものから質的に区別された無限なものは真の無限ではないため、有限なものと無限なものとを質的に区別する弁神論的な問いそのものが否定されなければならない〉というものです。

参考文献表

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  • Moore, A. W., The Infinite, London, 2001(A. W. ムーア『無限』、石村多門訳、講談社、2012)
CiNii

堀永哲史. [2017]: 「諸規定の媒介の解消と回復――ヘーゲル反省論の注釈」, 2016年度一橋大学社会学研究科修士論文.

※本論文は未公刊論文です。予告なしに改稿することがあります。

要旨

本論文は、ヘーゲル論理学の第二巻『本質論』の冒頭にある、いわゆる「反省論」を扱います。本論文の問題意識には大きく、テクスト解釈上の問題意識と、一般的な問題意識の二つがあります。

テクスト解釈上の問題意識とは、「反省論」という言葉でどこからどこまでを扱うべきか、ということです。一般に「反省論」という言葉で名指されるのは、本質論の第一部、第一章「仮象」(「仮象章」)のとりわけ「C. 反省」(「反省節」)です。しかし反省節の最後の「規定する反省」は反省的な統一を果たせずに終わります。本論文は「反省論」という言葉で、「反省諸規定」章の「矛盾」節の最後に「根拠」が導出されるところまでを含めます。というのは、本論文の見立てでは「根拠」の成立によって、反省的統一が回復されるからです。

一般的な問題意識の方は、〈或るものがそれ自身として規定されるのはどのようにしてか〉という問題です。ヘーゲルの反省論は、こうした規定に関する問題として読むことで一貫した見方をすることができます(ただし私自身は反省論だけでなくヘーゲル論理学全体にこうした規定に関する問題が通底していると考えます)。〈或るものは或るもの自身である〉は単純な自己同一性ですが、これは言い換えると、〈或るものが或るもの自身に反省(関係)している〉ということです。私の見解ではヘーゲルの基本的な考え方は、或るもの自身のこうした自己内反省(自己関係性)は、他のものとの関係をとおして初めて成立する、というものです。したがって〈或るものは他のものとの関係のなかではじめて或るもの自身である〉ということが、反省節から反省諸規定章を経てどのように成立するのかを追うことで、「反省論」を一貫した視点で捉えることができます。

キーワード

ヘーゲル, 反省, 反省諸規定, 同一性, 同一律, 区別, 差異律, 対立, 排中律, 矛盾, 矛盾律

がんばったところ

「反省」概念の明示化

Dieter Henrichが1970年代にヘーゲルの「反省」概念についての論文を書いて以来、「反省」概念はヘーゲル論理学における最重要概念として多くの研究者によって研究されてきました。本論文はこの反省論研究の文脈のなかに位置づけられます。本論文のスタンスは、ヘーゲルの「反省」概念を「自我」や「主観」の働きとして捉えるのではなく、あくまで様々なものに見出されうる「自己内還帰」や「自己関係性」の構造として取り出すというものです。

仮象章と反省諸規定章全体をとおした「反省」概念の把握

「反省論」という名称で一般に想定されるヘーゲルのテクストは、本質論の第一部、第一章「仮象」(「仮象章」)のとりわけ「C. 反省」(「反省節」)です。というのは、反省論研究において必ずといっていいほど言及されるHenrich 1978が対象にしているのが、その反省節だからです。しかし、反省節の最後「規定する反省」では、「反省」概念は「我を忘れた反省〔自己の外に出た反省〕(die außer sich gekommene Reflexion)」(GW11, 34)となって終わります。この「我を忘れた反省」が意味するのは、「反省」という他のものを介した自己関係性の構造のなかに位置づけられた直接的なものが、その自己関係性ゆえに再度自立化してしまうということです。このことを卑近な例でイメージするならば、「私」の「自己同一性」は、子どもの頃からの他者との様々な関係を経験するなかで確立されますが、そのなかで自分の「自己同一性」が確立してしまうと、「私」はそれまでの他者との関係を「忘れて」自分が自立した存在であると思う、そういった事態です(ただし『大論理学』で主題になるのは論理的な諸規定なので、こうした擬人化した説明はミスリーディングの恐れがあります)。

ところでヘーゲルの議論構成は大まかに言って、〈直接的な統一〉→〈区別・対立〉→〈媒介された統一〉というように進みます。他方で反省節は「措定する反省」→「外的反省」→「規定する反省」というように進みます。この構成からすると、「規定する反省」で〈媒介された統一〉が成立していると理解したくなります。しかし「我を忘れた反省」である「規定する反省」はその〈媒介された統一〉に達していません。実のところ、反省論研究の権威となっているHenrich 1978も、この点を指摘しています。Henrichは反省節の注釈の最後に次のように言います。「措定された存在の基礎にあったのは、措定する働きである本質の抽象的な同等性であった。この抽象的な同等性はまだ再生されていない。この抽象的な本質概念は、反省が自己に対して外的になって〔我を忘れて〕しまったことから帰結した諸結果が支配的でありつづけるかぎり、そうなる〔再生される〕ことはあり得ない。」(Henrich 1978, 303-304)。ここで「措定された存在」と言われているのは、反省節の第一段階の「措定する反省」において成立する統一のことです。また「自己に対して外的になって〔我を忘れて〕しまった」反省とは、反省節の第三段階つまり最終段階の「規定する反省」を指します。そして「抽象的な同等性」は〈統一〉のことであり、この統一が「再生」ないし回復される必要があるにもかかわらず、反省節の最終段階の「我を忘れた反省」(規定する反省)においてはそれがなされていない、ということをHenrichは明確に指摘しています。それにもかかわらず、Henrichに依拠する反省論研究の多くはこのことを無視して――あるいはおそらく理解できずに――、反省節のみで反省論が完結すると見なしています。こうした研究は、ヘーゲルのテクストも、Henrichのテクストも理解しておらず、ただ権威づけとしてHenrichの論文に言及しているだけかのようにおもえてしまいます(ただしHenrichの論文は総じて、論文のテーゼじたいは明確で革新的ですが、そのテーゼを導く具体的な論証はきわめて難解であるので、そのテーゼのみを論文の意義を補強するために引き合いに出すことは分からなくもないです)。

前置きが長くなりましたが、私の見立てによれば、「反省」概念がこの〈統一〉を回復するのは、反省節の次の第二章「諸本質性ないし反省諸規定」(「反省諸規定章」)における「矛盾」の解消とその肯定的な帰結である「根拠」の登場を待たなければなりません。そのため、本論文は「反省論」という言葉で、仮象章から反省諸規定までを扱っています。さらに言えば、こうした観点から、通常独立に議論される反省諸規定章も、反省論の一部として捉え直されることになります。

「反省」概念を「規定」と「媒介」に着目して理解する

ヘーゲルの「反省」概念は、「主観」や「自我」との関連のなかで議論されることがあります。私の理解からすれば、これじたいは誤りではないですが、「反省」と「自我」概念を同一視してしまうならば、誤りです。というのはヘーゲルにとって「反省」概念は、「自己内還帰」や「自己関係性」の構造そのもののことなので、そうした構造が見出されうるものすべてにおいて「反省」の構造があると言えるからです。私が理解するかぎり、「反省」概念を理解するために必要なのは、そのなかで「規定」や「媒介」が問題になっているということです。端的に言えば、本論文の理解では、「反省」とは、〈或るものは他のものとの関係のなかで初めて或るもの自身である〉という構造のことです。「媒介」とは「他のものとの関係性」のことで、「反省」とはその関係性を介した〈或るものは…或るもの自身である〉という自己関係のことです。本論文は「反省」概念をこのように理解したうえで、その構造が「矛盾」をとおして最終的に成立することを明らかにするものです。

仮象章と反省諸規定章のコメンタール

本論文はIber, Christian [1990], Metaphysik absoluter Relativitätに多くを依拠しています。Iber 1990は500頁以上にわたって、仮象章と反省諸規定章についてのきわめて精緻なコメンタールを展開しています。本論文も、Iber 1990には及ばないまでも、それに追いつけるように仮象章と反省諸規定章のテクストを丁寧にコメンタールしました。もちろんそれぞれの解釈においてIberとは異なるものも提示しています。本論文が当該箇所の読解に、何らかのかたちで寄与できればと思います。また本論文は細かいコメンタールと同時に、〈或るものは他のものとの関係のなかではじめて或るもの自身である〉という「反省」構造が、どのように始まり、解消し、そして回復するのかということを一貫したテーマのもとで論じています。この視点はIber 1990にはないものです。そのためただテクストを細かく解釈するだけでなく、それぞれの箇所が全体のなかでどのような段階にあるのかも同時に示しています。

参考文献表

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※本論文は修士論文として提出して以来、都度改稿しつづけているものですが、論旨じたいに変わりありません。

堀永哲史. [2019]: 「ヘーゲル『大論理学』本質論の始まりにおける媒介論」, ヘーゲル〈論理学〉研究会, 『ヘーゲル論理学研究』第25号, pp. 51-64.

要旨

本論文は、ヘーゲルの『大論理学』本質論冒頭の仮象章をおもに扱います。本論文は修士論文の一部(第1章)を要約し改訂したものです。仮象章とは「本質」と「仮象」といった概念が問題になる箇所です。ここでヘーゲルが問題にするのは、〈或るものが他のものとの関係のなかではじめてそれ自身である〉という媒介的な在り方を徹底することです。この媒介性が「本質」と呼ばれ登場しますが、当該箇所では、その本質に対して「非本質的なもの」や「仮象」が直接性を帯びるものとしてその媒介性の徹底を阻みます。ここで議論される「本質」はのちに「反省」とも呼び直されるところから、フィヒテ的な自我(Quante)やカント的な統覚(Longuenesse)として理解されることもあります。本稿は、「自我」がヘーゲルの「本質」概念の優れた例であることは認めつつも、「本質」を「自我」に還元する解釈はとりません。本稿は、あくまで「本質」は論理的な構造として理解し、そのうえで様々な例を出します。
ところで本稿が扱う箇所にはさらに、「絶対的否定性」という重要概念も登場します。この概念は、Henrich 1976で「ヘーゲルの根本オペレーション」として指摘されて以来、ヘーゲル論理学を駆動する概念としてその重要性が指摘されてきました。その一方で「絶対的否定性」は難解な概念でもあります。本稿は仮象章を一つの媒介論と理解したうえで、その文脈のなかで「絶対的否定性」概念を明らかにします。

キーワード

ヘーゲル, 本質, 仮象, 否定性, 絶対的否定性, ニヒリズム

がんばったところ

「絶対的否定性」概念の明示化

「否定性」概念はヘーゲルにとって重要な概念として知られています。そのなかでもとくに「絶対的否定性」概念はきわめて重要です。ただし、この概念はそれと同時にきわめて難解です。「絶対的否定性」概念の重要性をいち早く指摘したのが、Henrich, Dieter [1976]: Hegels Grundoperationです。「絶対的否定性」概念が、一般的な「否定性」概念と異なるのは次の点です。一般的には、「否定性」概念は「肯定性」の欠如概念として理解されます。つまり肯定性が前提としてまずあって、その否定として否定性概念が後続するということです。例えば、「悪」は「善」の欠如概念として理解されます。これに対して、ヘーゲルにとって「否定性」はたんなる欠如概念ではなく、それ自体で自立的な概念として理解され、それが「絶対的否定性」と呼ばれます。この「絶対的否定性」は仮象章の冒頭で登場します。本論文は、当該箇所のテクストをHenrichやIberの研究に依拠しながら丁寧に読み解くことで、「絶対的否定性」の構造を明らかにします。

始原論との関係における「否定性」の位置づけ

Henrichは「絶対的否定性」を「ヘーゲルの根本的オペレーション(Hegels Grundoperation)」、つまりヘーゲルの論述における根本的な操作概念として指摘します。それにもかかわらず、Henrich, Dieter [1971]: Anfang und Methode der Logikにおいては、「絶対的否定性」と、その絶対的否定性の構造をもつ「反省」が、始原の「純粋存在」から切り離されなければならないことを主張します。というのは、始原の「純粋存在」はまったき直接性においてただ〈ある〉としか表現できないものであり、そこにはいかなる否定性や関係性といった概念は含まれてはならないとされるからです。本論文はIber 1990の議論を援用しながら、Henrichのこうした主張を批判し、「絶対的否定性」を始原論の背景でも働いている「根本オペレーション」として理解します。

「絶対的否定性」をニヒリズムの否定として理解する

「絶対的否定性」を根本概念として理解するヘーゲルの議論は、〈何かである〉という積極的な規定をすべて解消するという意味でのニヒリズムを帰結するかに見えます。しかし本論文は、むしろ「絶対的否定性」という否定性の自己関係性において積極的な規定が成立する局面があると理解します。本論文のなかでは書くことができませんでしたが、これは例えばデカルトの「われ思う故にわれあり」にも通底する議論だと私は理解しています。つまり、デカルトは「方法的懐疑」のなかで、感覚や想像、そして数学まで疑い否定します。しかしその否定のなかで、「私」はまさに疑い否定する思考としての「私」と出会い、これ自身を疑い否定することができません。これはヘーゲルの言葉で言えば、否定が否定自身に関係するという自己関係的否定性です。ヘーゲルの「絶対的否定性」とはこのように自己関係する否定性そのもののことです。否定性が否定性自身に関係するとは、〈否定性は否定性である〉というかたちで否定性が積極的に確立される事態のことです。この自己関係の局面が「肯定性」として理解されます。

参考文献表

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CiNii

堀永哲史. [2020]: 「媒介論としてのヘーゲル矛盾論――ヘーゲル『大論理学』矛盾節の解釈――」, 日本哲学会, 『哲学の門』第2号, pp. 149-161.

要旨

本論文は、ヘーゲルの「矛盾」概念を扱います。本論文は修士論文の一部を改訂したものです。ヘーゲルの「矛盾」概念は、ヘーゲル研究の内外から批判的に検討されてきました。古典論理学を基本にするならば、ヘーゲルの矛盾許容論ともとれる主張は受け入れがたいものがあります。本論文はそうしたなかで、ヘーゲルの矛盾論を厳密な矛盾許容論と理解します(ただしここでの「矛盾」において対立する二つの項は基本的には、ある規定Aとそれに矛盾対立する規定B(例えば「肯定」と「否定」)であって、量と質の組み合わせによって矛盾対当関係にある二つの判断ではありません)。そのうえで、本論文はヘーゲルの矛盾論を理解可能なものとし、その意義を明確にすることを目指します。そのために本論文では、「矛盾」が成立する条件を明示化し、さらにこの「矛盾」がヘーゲル論理学にとって「媒介」の成立の契機となることを明らかにします。

キーワード

ヘーゲル, 矛盾, 矛盾律, 媒介, 爆発則

がんばったところ

ヘーゲル矛盾論における爆発則の問題への回答

本論文で扱うのは、ヘーゲルの術語のなかで最も有名なもののうちである「弁証法」に深く関係する「矛盾」概念です。この「弁証法」や「矛盾」は、ヘーゲルの重要概念であるとともに、通常の古典的な論理学からすると、「無矛盾律」を肯定する主張も含まれることから、例えばPopperのWhat is dialectic?などヘーゲル研究以外から多くの批判があります。その批判のなかでも最も重要な問題は「爆発則」の問題です。爆発則とは、矛盾を許容した場合に、選言導入と選言三段論法を用いると、あらゆる命題が帰結するというものです。

私が知るかぎり、ヘーゲルの矛盾論研究のなかで、この「爆発則」の問題への回答があるものはほとんどありません。数少ないなかでも、加藤尚武は「エンゲルハルト論文の吟味」(『ヘーゲル論理学研究』第15号, 2009年, 63-71頁)という論文のなかでこの問題について一つの解答を与えています。それによると、「「爆発」が起こるのは、形式的に整備された公理系」(65)であるが、これに対して「ヘーゲル論理学の世界は、公理系ではなく、日常言語の世界だから、演算として記号を動かすことはできない。演算のスイッチがはいらないから、「爆発」など起こるはずがない」(66)とされます。本論文の理解は、ヘーゲル論理学においては爆発則の「演算のスイッチがはいらない」という点は加藤論文と同じですが、その理由を「ヘーゲル論理学の世界」が「日常言語の世界」だからとしている点には同意しません。きわめて抽象的なヘーゲル論理学を一読して、それが「日常言語の世界」だとは誰も思えないでしょう。また、実際にヘーゲル論理学のなかで扱われている「思考諸規定」も、「存在」「本質」「因果性」「概念」「判断」「推論」など、伝統的には形而上学で扱われたり、論理学で扱われるような、日常言語とは階層の異なる諸規定です。もしヘーゲル論理学が「日常言語の世界」だと言うのであれば、それを論証する必要がありますが、加藤は断言するだけで論証していません。

私の理解は本論文の注に記載していますが、文字数の関係からかなり省略して論じたため、ここでもう少し詳細に私の理解を示しておきます。私の理解では、爆発則が成立する重要な条件は、選言導入の際に、それぞれの選言肢には意味的な関係は必要なく、真理値のみが関わるという点です。逆に言えば、選言肢に意味的な関係を必要とする場合、「あらゆる命題」を導くことはできなくなります。本論文はこの点に着目します。本論文の理解では、ヘーゲル論理学は選言肢相互のあいだに規定的な関係がある「選言」のみを扱います。それは、ヘーゲル論理学がそもそも「規定」を問題にしているという点からも明らかです。例えばヘーゲルは判断論の「選言判断」において、選言肢が「主語の普遍的領域全体」(GW12, 80)のもとにあることを強調します。この場合、選言肢の候補となりうるのは、例えば「色」という普遍的領域における「赤」と「緑」などです。このような「選言」理解は、カントにも共通しています。カントによると、選言判断の選言肢は「一つの認識の領域の諸部分の関係」(KrV., B89)を含んでいるとされます。そのためカントが選言の例で挙げるのは、「世界は盲目的な偶然によって現にあるのか、あるいは内的な必然性によって現にあるのか、あるいは外的な原因によって現にあるのかのいずれかである。」(KrV., B89)というものです。このような「選言」理解のもとでは、それぞれの選言肢には真理値だけでなく意味的な関係もあることになります。したがってヘーゲル論理学の「選言」では真理値のみに関わる選言導入を用いることができず、それゆえ矛盾を許容した場合でも爆発則は成立しない、と本論文は理解します。

ヘーゲルの「矛盾」の成立条件を明示化

本論文は、ヘーゲルが厳密な意味での「矛盾」を肯定すると主張しますが、他方で、その「矛盾」には成立条件があるとも主張します。ヘーゲルの「矛盾」概念は、「弁証法」概念と同様に、濫用されやすい概念であり、それゆえにその効力や正しさが疑われかねない状況になっているとかんじています。そうした濫用を防ぐためにも、私は「矛盾」概念の成立条件を明確化する必要があると考えました。ヘーゲルにとって「矛盾」は、排斥的に対立する二つの規定(e. g. 肯定と否定)が他方の規定に反転する事態を言います。しかし矛盾の成立条件を厳密に確定しなければ、「上が上であることを否定して下になり、下が下であることを否定して上になる」(牧野 2016, 123)という不合理な主張が出てきてしまいます。本論文は「矛盾」の成立条件を明示化し、こうした混乱を回避します。

「矛盾」概念のヘーゲルにとっての意義を明示化

仮に私が解釈するように、特定の条件化ではヘーゲル的な「矛盾」が成立するとして、それで何が嬉しいのかという疑問はまだ残ります。そこで本論文は、「矛盾」概念の意義を明示化します。その意義とは、相互規定関係にある二つの規定が、〈一方は他方との関係をとおしてはじめてそれ自身として規定される〉という相互媒介関係を成立させるにあたって、「矛盾」が必然的であるということです。「矛盾」の帰結として、相互媒介が成立するという本論文の主張は、『哲学の門』の前に日本ヘーゲル学会に投稿した際に、最後まで査読者と議論になった点です(結局不採用でした)。その査読者によれば、「矛盾」は「相互媒介を破壊する」とのことでした。そのため、日本のヘーゲル研究のオーソドックスな解釈では私の解釈は間違いでしょう。しかしヘーゲルのテクストを読むと、「矛盾」の帰結として登場する次の概念「根拠」は「本質の自己との実在的媒介」(GW11, 292)と言われています。このテクストをまともに受けとるならば、ここで成立しうる論争は、「矛盾」の帰結が「媒介」なのか、それとも「媒介の破壊」なのかではなく、「矛盾」の帰結としての「実在的媒介」がどのような意味での「媒介」なのかというものでしょう。本論文はこの「媒介」を、相互規定関係にある二つの規定の相互媒介関係というように理解します。

文字数の関係から本論文ではこの点に立ち入れなかったので、ここで少し詳しく立ち入ります。いま引用した箇所は一文全体を引用すると以下のように書かれています。「反省は純粋な媒介一般であり、根拠は本質の自己との実在的な媒介である。」(GW11, 292)。前者の「反省」は、反省節(「矛盾」節を含む反省諸規定章の直前に位置する)の「反省」、つまり「反省論」の最初に登場する「反省」のことです。「純粋な媒介一般」とは、他のものとの関係を含まない単純な自己との媒介関係のことです。「実在的な媒介」とは、「実在性(Realität)」を「規定性」と理解するヘーゲルのターミノロジーからすれば、〈規定的な媒介〉と理解することができます。修士論文での議論に紐づけるならば、「反省」の反省的な統一(これは今の文脈では「媒介」のこと)が反省節の最後の「規定する反省」で解消され、反省諸規定章の最後の「矛盾」の帰結としての「根拠」として、つまり「本質の自己との実在的な媒介」としてふたたび回復されるということを読み取ることができます。そしてこの「実在的な媒介」は、これを〈規定的な媒介〉と理解するならば、本論文の言葉では〈相互規定関係にある二つの規定の相互媒介〉です。ここからは、他のものを介さない「純粋な媒介一般」から始まった「反省」が、「規定する反省」において媒介関係を解消し、反省諸規定章の「矛盾」の帰結としての「根拠」において、他のものを介した「実在的な媒介」として回復される、という一連の「反省論」全体の流れを読み取ることができます。本論文は紙幅の都合上、反省論全体の位置づけについて論じることはできていませんが、ヘーゲルの「矛盾」節は反省論における反省の統一の成立→解消→回復という一連の文脈のなかで捉え直すことでより理解ができると考えています。

ヘーゲル論理学一般の矛盾論というよりは矛盾節の解釈

ヘーゲルの矛盾論の研究はおおまかに二つに分けられます。一つはヘーゲル論理学の方法論としての「矛盾」ないし「弁証法」の議論(vgl. Wieland; Bubner; Hösle)と、いま一つはヘーゲル論理学の本質論の矛盾節における「矛盾」の議論(vgl. Wolff; Iber)、これら二つです。本論文は後者の研究に属します。前者の方法論的観点からの矛盾論研究は基本的には矛盾節そのものの検討はしません。むしろこうした研究は、ヘーゲルの議論構成一般を問題にしながら「矛盾」や「弁証法」を解明しようとします。この場合には一般的に、ヘーゲルの「矛盾」は「命題が主張すること」と「命題そのもの、または命題が何がしかを主張することによってなすこと」とのあいだの「不一致」として理解されます。ヘーゲルの議論構成は、議論の対象になる概念規定が、通常理解されている意味から始まり、分析の結果、その意味とは正反対の意味を導き出すといった形ですすめられます(例えば反省諸規定章では、「同一性」概念から「区別」概念が導出されます)。こうした議論構成が先の「不一致」と言われるものです。ヘーゲルの議論は、たしかにこうした「不一致」としての「矛盾」によって駆動していきます。他方で私は矛盾節そのものを研究対象にしました。矛盾節で扱われるのは、「肯定的なもの」と「否定的なもの」との矛盾です。私の見立てでは、方法論的観点からの矛盾も、それぞれの思考諸規定における肯定性(自立性)と否定性(非自立性)との矛盾から生じると理解します(ただ本論文では紙幅の問題もあり展開できていませんし、概念論の議論でも通用するのかどうかより熟考する必要があります)。

ヘーゲルの「矛盾」概念についての先行研究の検討

査読者の一人からは「近年の諸論者への言及や考察がしっかりなされているので、一般には評価が高い論文と言えるでしょう。」と間接的な評価をいただいたうえで、「凡百の論文を読むのは、ほとんどオマケです。」と言われてとても不愉快におもいましたが、数多くあるヘーゲルの「矛盾」概念研究に一通り目をとおして、それらを踏まえたうえで議論するのは大変苦労しました(ただしマルクス主義系の研究にまでは目を通せていません。それについては牧野広義『弁証法的矛盾の論理構造』が詳しいです)。私の研究分野は共同研究ではなく個人研究が一般的なので、そのなかで独りよがりにならずに、脈々とつづくヘーゲル研究全体の共同的営みに参画するには、「凡百の論文」(私は「優れた論文」だとおもいますが)を踏まえることがヘーゲルのテキストを正確に解釈することと同じく重要なことだとおもいます(またヘーゲルのテキストについても、本論文では紙幅の都合上大幅に議論を削っていますが、修士論文ではかなりの紙幅を割いてテキストを精読しており、本論文はその精読を踏まえたうえでのものです。もちろん査読者にはそのようなことは知ったことではないのですが。)。日本語の論文で、ここまで多くのヘーゲル矛盾論の先行研究に言及しているものはあまりないかと理解しています。

参考文献表

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  • Bubner, Rüdiger, 1980, Zur Sache der Dialektik, Stuttgart.(『ことばと弁証法』伊坂青司・鹿島徹訳、晃洋書房、1993年。)
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  • 牧野広義、2016、『ヘーゲル論理学と矛盾・主体・自由』ミネルヴァ書房。
  • 山口祐弘、1988、『近代知の返照』学陽書房。
  • 山田有希子、2011、「ヘーゲル論理学における『矛盾』の概念とカントのアンチノミー論批判」『ヘーゲル哲学研究』第十七号、こぶし書房、163-177頁。
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堀永哲史. [2022]: 「ヘーゲル判断論における思考と存在との同一性としての真理――カントの超越論的真理との比較」, 『Scientia』vol.2, pp. 49-77.

要旨

本論文は、ヘーゲルの「真理」論を主題にします。ヘーゲルの「真理」概念は、大きく「正(Richtigkeit)」と「真(Wahrheit)」とに区別され、ヘーゲルは前者を批判し、後者を主張します。しかしヘーゲルのテクストを読むと、この区別だけではヘーゲルの「真理」概念を正確にはとらえきれません。実際、AschenbergやHalbigのような研究者たちは、「正」と「真」以外の区別も行っています。本論文は、まずヘーゲルの「真理」概念を4つの「側面」すなわち、「正」、「真」、「全体論的真理」そして「思考と存在との同一性としての真理」に区別します。そのうえで、本論文は最後の「思考と存在との同一性としての真理」を主題にします。

先に言及したHalbigは思考と存在との同一性としての真理に「真理の同一説」を読み込みます。本論文はこうした「真理の同一説」的解釈をとりません。というのは、ヘーゲルが「思考と存在との同一性」を問題にするとき、それは「真理の同一説」で問題になるような経験的な判断とその個別的な対象といった経験的なレベルで論じられているのではなく、その経験的な判断や判断対象となりうるもの一般をそもそも可能にするようなより基礎的なレベルで論じられていると考えられるからです。このことを明らかにするため、本論文は、カントの「超越論的真理」を参照軸にします。というのは、「超越論的真理」はまさに「あらゆる経験的真理に先行し、そしてこの経験的真理を可能にする」ものとして導入されるからです。本論文の見立てでは、カントの「超越論的真理」とヘーゲルの「思考と存在との同一性としての真理」は、その成立が主観の枠内に限定されるか否かを別にすれば、いずれも「経験」を成り立たせる基礎的なレベルで成立します。別の言い方をすれば、両者はともに、ある判断が経験的に真であるときの「真」のことではなく、ある判断が経験的に真であったり偽であったりすることができるための条件だと考えられます。本論文の目的は、このことをカントの「超越論的真理」と、ヘーゲルの判断論を援用しながら示すことです。

キーワード

ヘーゲル, カント, 真理, 超越論的真理, 真理の同一説, 思考と存在との同一性, 判断論

がんばったところ

ヘーゲルの「真理」概念の区別

ヘーゲルの真理論で有名なものは、「正(Richtigkeit)」と「真(Wahrheit)」との区別でしょう。これらはそれぞれ「言明の真理」または「命題的真理」と「事物の真理」または「質料的真理」とも呼ばれます。一方で「正」は、古典的な対応説的な真理のことであり、例えば「今日は晴れである」といった言明が実在と対応している場合に成立します。他方で「真」は、価値評価にかかわる真理であり、例えば「真の友情」の場合の「真」のことです。

しかしヘーゲルの「真理」概念にはこれら以外にもいくつかの側面があるように思われます。先行研究ではAschenberg 1976やHalbig 2002が「正」と「真」以外の側面の区別をしています。本論文もこれらの先行研究を参考にしつつ、ヘーゲルの「真理」概念を4つの側面に区別しています。なぜそのように区別されるべきかについての論拠も、その他の先行研究との対比のなかで示しました。

ところでこのヘーゲルの「真理」概念の区別についての議論(とりわけ本論文の2.1と2.2)は場合によっては余計なもののように見えるかもしれません(実際、気にならない方は読み飛ばしていただいてもかまいません)。この箇所は本来なら独立した論文として書くべきでしょうし、そのようなコメントもいただきました。ただこのようになかば無理やり組み込んだのは次のような理由があります。かりにこの箇所を独立した論文にした場合、結局のところ、その論文に対して、査読者から「思考と存在との同一性としての真理」についてのより具体的な論拠を示すように要求されるだろうということです。ヘーゲル研究のなかではヘーゲルの「真理」概念については、「正」と「真」の区別のみが一般的であるため、「思考と存在との同一性としての真理」をヘーゲルが言う「真」から区別する場合には、それ相応の論拠を求められるでしょう。そしてもしその要求に答えようとするならば、結局、本論文の2.3以降で議論することと同じことを主張する必要がでてきます。しかし「真理」概念の区別を主題にした論文の場合には、「思考と存在との同一性」についての議論にはあまり紙幅を割くことができません。区別の議論であれば簡潔にまとめることも可能ですが、後者の議論については私はカントとの比較が必要だと考えているので、その手続きのために相応の紙幅を必要とします。もしこれが単著であれば、「真理」概念の区別についての議論と「思考と存在との同一性としての真理」についての議論それぞれに十分な紙幅を割くことができますが、投稿論文の場合にはそうはいきません。こうした事情で、本論文では「思考と存在との同一性としての真理」を主題にしながら、その前提となるヘーゲルの「真理」概念の区別についての簡潔な議論を盛り込んでいます。

ヘーゲル真理論の先行研究のサーヴェイ

ヘーゲルの「真理」概念を論じた研究は、付随的な言及のものも含めれば数多くあります。本論文は十分ではないとはいえ、比較的多くの研究に目をとおしてそれらについての私なりの理解と批判を提示しています。また2021年に出版されたFicara, Elena, The Form of Truth_Hegel's Philosophical Logicというヘーゲル真理論を真正面から主題にした最新の研究にも言及しています。ヘーゲルの真理論については、かつてはヘーゲルが言明の真理を批判して事物の真理のみを主張しているという解釈が一般的でした。しかし例えばHalbigやFicaraの研究は、現代の英米系の哲学で主題となる言明の真理と関係づけて、ヘーゲルの「真理」概念を捉えなおそうとしています。本論文はこれらの研究に必ずしも賛同しませんが、別の仕方で従来のヘーゲル真理論研究とは異なる見解を示しています。

ヘーゲルの「思考と存在との同一性」とカントの「超越論的真理」との比較

ヘーゲル哲学をカント哲学との比較のなかで理解するということは王道の研究ですが、カントの「超越論的真理」との比較のなかでヘーゲルの「思考と存在との同一性としての真理」を理解することはほとんどされていないように思われます(数少ない例外はBaum 1983だが、その批判については論文を参照)。本論文は、「思考と存在との同一性」というヘーゲルの難解なテーゼを、カントの「超越論的真理」との比較のなかで理解します。

「真理の同一説」的解釈の検討と批判

ヘーゲルの真理論は言明の真理を批判します。「真理」という言葉において通例理解されるのは、英米系の現代哲学のなかでは言明の真理です。そのため、言明の真理を批判して事物の真理を重視するヘーゲルの姿勢は、英米系の現代哲学と相性がよくありません。しかしそうしたなかで、Baldwin 1991が「真理の同一説」という枠組みのもとで、ヘーゲル主義者のブラッドリー(およびヘーゲル自身)と、その批判者として理解されるラッセルやムーアとの共通点を明らかにしました。この議論を批判的に継承しながら、Halbig 2002も、ヘーゲルの思考と存在との同一性を「真理の同一説」として理解しています。こうした真理の同一説的解釈は、その独特な「真理」理解によって英米系の現代哲学とは異質なものとして理解されてきたヘーゲル哲学を、英米系の現代哲学の枠組みのなかで捉え直すという方向性を示しています。しかし本論文は真理の同一説的解釈は、ヘーゲルの「思考と存在との同一性」が問題になっている次元を見誤っていると理解します。本論文は、「思考と存在との同一性」を、カントの「超越論的真理」と比較することで、その問題の次元を明らかにします。そのことによって明らかになるのは、現代哲学の言葉を用いるならば、ヘーゲルの「思考と存在との同一性」は、ある言明が事実(その言明のtruth-maker)と同一であるということを主張するのではなく、ある言明と事実とが一致したりしなかったりするための前提条件を、つまり思考様式と存在様式との同一性を主張するものだというものです。

参考文献表

  • Aschenberg, Reinhold. [1976]. Der Wahrheitsbegriff in Hegels „Phänomenologie des Geistes“, in: Die ontologische Option, Studien zu Hegels Propädeutik, Schellings Hegel-Kritik und Hegels Phänomenologie des Geistes, hrsg. von Klaus Hartmann, Berlin, S. 211-308.
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堀永哲史. [2022]: 「ヘーゲル判断論における真と正」

※本論文は未公刊論文です。予告なしに改稿することがあります。

要旨

「ヘーゲル判断論における思考と存在との同一性としての真理――カントの超越論的真理との比較」では、ヘーゲルの「真理」概念を「正」、「真」、「全体論的真理」そして「思考と存在との同一性としての真理」という4つの側面に区別し、そのうえで最後の側面についてヘーゲル判断論に依拠して論じました。本論文はこの区別にもとづいて、とくに「正」と「真」について判断論に依拠して論じています。一方で「正」は、文や命題といった何らかの言明について言われる「真」です。他方で「真」は何らかの事物(例えば「友人」、さらには「民主主義」のような制度も含む)について言われる「真」のことで、通常は「真の~」というように付加語的に用いられます。「真理」論のメインストリームは前者の「正」を主題にしますが、ヘーゲルは「正」を批判し「真」を主張します。

ところでヘーゲルの議論は一般に後なるものが先なるものより優れているというかたちになっています。判断論も同様に、最も単純な「定在の判断」(e. g. 「このバラは赤い」)から始まり、「反省の判断」(量的な判断のこと)、「必然性の判断」(定言判断、仮言判断、選言判断)そして最後の「概念の判断」(e. g. 「この行為はよい」)にいたるなかで、後なるものが先なるものより優れているという秩序になっています。そしてこの秩序のなかで「正」は「定在の判断」で登場し、「真」は最後の「概念の判断」で登場します。したがってヘーゲルにとって「概念の判断」がその他の先行する判断諸形式よりも優れているのと同様に、「真」も「正」よりも優れています。実際ヘーゲルは「真」が「正」よりも「より深い」と言います。しかし問題はどのような意味で「より深い」のかを明らかにすることです。本論文は主に判断論に依拠しながら、このことを明らかにします。

キーワード

ヘーゲル, 言明の真理, 命題的真理, 事物の真理, 質料的真理, 判断論, 価値判断, 自然種, 自然種の本質主義

がんばったところ

ヘーゲルにとって「真」が「正」に比べて「より深い」理由を明示化

ヘーゲルは、一般的な真理論で重視される言明の真理よりも、事物の真理のほうが「より深い」と言います。ヘーゲル研究者の多くは、ヘーゲルのこの主張を繰り返すだけで、なぜ言明の真理よりも事物の真理のほうが「より深い」のかを説明しません。本論文は、ヘーゲルのテクストに即しながら、ヘーゲルにとって言明の真理よりも事物の真理のほうが「より深い」理由を明示します。

ヘーゲルにおける自然種の議論との接続

英米系の現代哲学では「自然種」という概念が以前より議論になっています。ヘーゲル研究のなかでも以前からヘーゲル哲学のなかに「自然種」の議論を読み込む向きがありましたが、最近の海外のヘーゲル研究では「類」概念への着目とともにさらにこの概念が話題になっているようにおもいます。本論文もまた、この「類」概念や「自然種」に着目するなかで、「真」が「より深い」理由を説明します。そのため本論文は、とくにKnappik 2016に依拠しながらヘーゲルにおける「自然種の本質主義」とヘーゲルの「真」概念とを接続します。このことによってヘーゲルがどういった立場を背景にして「真(Wahrheit)」概念の意義を訴えているのかをより明確にすることができます。

判断論の概説

本論文はヘーゲル判断論に即しながらヘーゲルの「真」概念について考察するので、判断論についての概説にもなっています。ヘーゲルの判断論はカントの『純粋理性批判』における判断表と似ているところがありますが違う点もあり、さらには古典的な判断論とはかなり違っています。そのためヘーゲル判断論の特徴やそこで何が問題になっているのかを明らかにしています。またとくに問題となるのが、ヘーゲルが判断論の最後に扱う「概念の判断」(カントの場合は「様相の判断」)の位置づけです。この「概念の判断」は「価値判断」と呼ばれるものです。ヘーゲルの議論構成では先行するものよりも後続するもののほうがより高次です。そうすると、先行する通常の判断の諸タイプよりも「価値判断」のほうがより高次だということになります。この理由を理解することはとても難しいですが、本論文は、ヘーゲルにとって「正」に比べて「真」の方が「より深い」こととパラレルに、先行する諸判断よりも価値判断のほうがより高次であると理解します。そのため本論文は同じ理由によってそれぞれの後者は前者よりもより深い/高次であるということを明示します。

参考文献表

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  • Gerhard, Myriam, 2015, Hegel und die logische Frage, Berlin.
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  • Lau, Chong-Fuk, 2004, Hegels Urteilskritik. Systematische Untersuchungen zum Grundproblem der spekulativen Logik, München.
  • Longuenesse, Béatrice, 2007, Hegel’s Critique of Metaphysics, Cambridge.
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  • Tugendhat, Ernst/Wolf, Ursula, 1983, Logisch-semantische Propädeutik, Stuttgart.(『論理哲学入門』鈴木崇夫・石川求訳, 筑摩書房, 2016年.)
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  • Yeomans, Christopher, 2012, Freedom and Reflection. Hegel and the Logic of Agency, Oxford.
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堀永哲史. [2023]:〈合評会〉川瀬和也『全体論と一元論 ヘーゲル哲学体系の核心』(晃洋書房, 2021)第III部, 『Scientia』vol.3, pp. 31-54.

要旨

本稿のもとになった原稿は、2021年12月10日に京都大学西洋近世哲学史専修において著者ご本人をお招きして行われた、川瀬和也『全体論と一元論―ヘーゲル哲学体系の核心』合評会にて、私が評者として発表したものです。それに加筆、修正を加えたものが本稿です。『全体論と一元論』(以下、「本書」)の特徴を私なりに挙げるならば、(1)「ヘーゲル・ルネサンス」以降の文脈に意識的に自らを位置づけた単著であること、(2)明確なコンセプトにもとづいてヘーゲル論理学について解釈した日本語の研究であること、(3)比較的平易な文で書かれた研究であること、以上が挙げられるかとおもいます((2)は後から気づいたので本稿で言及することができていません。)。

(1)「ヘーゲル・ルネサンス」とは、1990年頃から始まった、英語圏の分析哲学の研究を取り込んだヘーゲル研究の潮流のことです。英米系の現代哲学の議論に対してどのような態度をとるにせよ、今ではそうした議論を取り入れることは英語だけでなくドイツ語のヘーゲル研究でも普通に行われています。日本語のヘーゲル研究でも、論文単位で見ると、こうした潮流の影響を受けた論文は多いですが、一つのまとまった著作としてはこれまでなかったようにおもわれます。本書はその意味で画期的な一冊だと言えます。(2)ヘーゲルの著作はいずれも難解ですが、その『論理学』はきわめて抽象的な議論が展開されているため、そもそも何が問題になっているのかを理解することが難しいです。そのため、ヘーゲル論理学のテクスト解釈にあたって、哲学史・発展史的な視点だけでなく、著者なりの明確なコンセプトのもとで一貫して読むということは、日本語文献ではあまり見たことがありません(マルクス系の解釈は別です)。本書は、「全体論」と「一元論」という視座をヘーゲル論理学のとくに第三巻『概念論』から読み解く、というコンセプトを明確に打ち出し、それを貫こうとしています(ただ本稿で述べるように少なくとも「一元論」の方は成功していないと私は考えます)。(3)ヘーゲル論理学についての日本語の文献は、ヘーゲルと同じくらい難解であることも少なくありません。これに対して、本書はそれぞれの文について言えば、比較的平易な語り口で語られています。

本稿は大きく二つの部分からなります。第一に『全体論と一元論』の第III部についての、私なりの概要と質問やコメントです。第二に第III部以外の議論でどうしても疑問にかんじた点を三つにしぼってコメントしました。問題となる議題は、第III部で扱われる『概念論』の目的章や生命章の内容や、それ以外の箇所で論じられる「絶対的形式」概念や著者の言う「有機体モデル」などです。本書に対しての本稿の立場は批判的なものが多くなっています。本書に対して本稿がしたコメントの種類は大まかに以下のように区別できます。本書内で整合性がとれていないとおもわれるところ(質問1)、議論の進め方が強引だとおもわれるところ(質問2)、本書のコンセプトに照らして著者の主張が不明確であるところ(質問3, 質問4)、ヘーゲルのテクスト解釈として私の見解と異なるところ(質問5, 質問6, 質問7)、ヘーゲル解釈抜きにしてそもそも本書の議論が成り立つのか疑問にかんじたところ(質問8)、先行研究のまとめ方が不適切であるとおもわれるところ(質問1の一部, 脚注5, 脚注10)、以上です。

他の評者の方々の書評と、著者ご自身による応答も併せてご覧下さい。(DLはこちら)

がんばったところ

可能なかぎり論拠を挙げてコメントをする

可能なかぎり論拠を挙げてコメントするということは当たり前のようにおもえますが、私が経験してきた査読ではそれがないことも少なくありませんでした。私が査読を議論の場だと捉えていたことが間違っていたのかもしれませんが、査読者からは、ほとんど聞いたことのないような解釈やあまり支持している人の少ない解釈を、先行研究への言及やテクストからの論証なしにつきつけられて、それに応答を求められるコメントもありました。私はもちろん本書を「査読」するような立場にないですし(そもそもそれをクリアしたのが本書です)、そのような大それたことをしたいともおもっていません。ここで私が心がけたことは、私が自分の研究にコメントをされるならこうであったらよかったというコメントです。そこで本稿ではコメントの際に、可能なかぎり本書の見解を正確に取り出すことを意識し、また自分の見解を言うときもヘーゲルからのテクストや先行研究を用いて論証することを心がけました。そのために文字数も多くなってしまっています。

疑問点を明確にする

そもそも質問やコメントをすることは難しいことだと理解しています。そのため一般にコメントのなかにはどういう疑問なのかが明確でなく、応答しにくいものもあります。そうならないためにも、本稿では、私が抱いた疑問や反論の背景を明らかにしました。しかしそうすると、文字数が多くなり、かえってそもそもの問題が何だったのかが分かりにくくなります。そこで本稿では、質問ごとのタイトルに簡潔な質問を書き、本文の冒頭で大まかな疑問点を述べて、そのあとに論証するといったスタイルを可能なかぎりとったつもりです。これが方法として正解かは分かりませんが、このようにして疑問点を明確にすることを心がけました。

本書で扱われた先行研究以外の先行研究を挙げる

本書は「ヘーゲル・ルネサンス」の文脈に意識的に位置づけられているので、英米系の研究への言及が比較的多いです。ただ私が担当した第III部は他の箇所よりも英米系の研究への言及が少なく、また本書全体としても本書の議論にとって有益であるとおもわれるけれども言及されていない研究もありました。そこで本稿では私が知りうるかぎりでの、また本書の議論にとって有益だとおもわれる他の(ヘーゲル・ルネサンス以降の)先行研究についても言及しました。誤解なきように言えば、このことは当然著者がこうした研究を知らないということを意味しません。そうでないことは本書におさめられたもの以外の著者の論文から理解できます。

参考文献表

  • deVries, Willem A.. [1991]. The Dialectic of Teleology, in: Philosophical Topics, Vol. 19, No. 2, pp. 51-70.
  • 堀永哲史. [2022]. 「ヘーゲル判断論における思考と存在との同一性としての真理―カントの超越論的真理との比較」, 『Scientia』Vol.2.
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  • Pippin, Robert B.. [1989]. Hegel’s Idealism. The Satisfactions of Self-Consciousness, Cambridge University Press.
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  • Rockmore, Tom. [1989]. Hegel’s Circular Epistemology as Antifoundationalism, in: History of Philosophy Quarterly, Vol. 6, No. 1, pp. 101-113.
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  • Yeomans, Christopher. [2012]. Freedom and Reflection. Hegel and the Logic of Agency, Oxford.
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